プロフィール

こんにちは!「ベンタブルBlog」を運営しています「タキWS」です。

最近入社(自社開発企業)した、スペックの高いプログラミングスクールの卒業生に抜かれそうなWEBエンジニアです。

看護師の妻、子ども3人の5人家族で都内の端の方で暮らしています。

自分のことを図に表すと以下のようになります(画像をクリックすると拡大します)。

 

WSとは、「Wide and shallow」の略で「広く浅く」の意味です。

これまで、Python,PHP,C言語,ゲーム開発,WEB開発などやってきたけど、専門家というより広く浅く携わってきたので、WSをつけました。

本ブログで発信する主な内容

  • 現役エンジニア、採用担当、プログラミングスクールでチューターの経験を生かした、オススメのプログラミングスクールについて
  • 機械学習、WEB関連技術を中心のIT技術について

 

ここだけ読めばどんな人かわかる簡易プロフィール

歴20年以上の現役エンジニア。

大学卒業後、受注・SES会社に入社。主に、C++を使ってWindowsアプリの開発を行う。

夢を叶えるゾウ」をキッカケに、WEB・ゲーム開発がやりたいことに気づき、転職活動を開始する。

転職活動から3年後、やっとの思いでゲーム開発・WEB開発の自社開発企業へたどり着く。

現在は、エンジニアの採用担当を経験しつつ、Unityでゲーム開発したり、WEBシステムの開発をする。

これまでの生い立ち

小学校〜中学時代

TVゲームがものすごく好きで完全なインドアな少年。
学校の宿題が終わったあとは、常にTVゲームばかりをしていた。

あまりにもゲームばかりだったので、学校の先生には一週間に1時間だけと約束させられたが、秒で破っていた。
友達といえる友達がいなかったため、特に目立った思い出なし。

部活は卓球をやっていたが、高校受験で少しでも優位に立つためだけのもののため、やる気は無かった。

集団行動がものすごく嫌いだった。

このような生い立ちからか、今現在も、チーム業務よりも1人でモクモクと進める業務の方を好むようだ

 

高校生時代

中学時代よりも人生を良くしようと思い、テニス部に入部する。しかし、全国制覇を狙うような部だったためかなりきつい練習になった。

結局、厳しい練習についていけず、入部後2週間足らずで退部。その後は、特にやりたいこともなかったのでそのまま帰宅部に。

当時、コナミから発売された「ときめきメモリアル」が大好きで、学校が終わったあとは取り憑かれたようにずっとプレイしていた。

勉強は嫌いだったので、テスト期間以外は何もしなかった。

このとき、美少女ゲームの開発者に憧れていたようだ

 

浪人生として生活

八王子にある駿台予備校に通うことにした。
勉強期間が1年間あるなら、(全く勉強しないくせに)早稲田、慶応大学を目指そうともくろむ。

しかし、徐々にモチベーションが続かなくなり、授業のペースについて行けなくなる。
早稲田、慶応は流石に無理だな。ならもう少し大学のレベルを下げよう・・・・。

結果、4年生大学(偏差値45~50台)はすべて不合格。
短期大学だけなんとか合格した。

浪人しても志望校に合格できないと言われているが、まさに実体験でした。

 

仮面浪人として短期大学に入る

4年生大学に合格できなかったため、短期大学の電気工学科に行くことにした。
しかし、入学後、一ヶ月経った頃から、学校の勉強に興味もてずにサボることが多くなった。

やっぱり4年生の大学に行きたい気持ちの方が強かったため、受験勉強に切り替えた。

 

4年生大学に入り直す

第2志望の大学ではあったが、合格することできた。

プログラミングに興味持ち始める

学部は、パソコンが好きだったので情報学部に入学しました。

しかし、当時は、プログラミングが嫌いで課題は誰かが解いたものを移して提出していました。

特に、C言語の「関数」「ポインター」の意味を全く理解できなかったので苦痛でした。

プログラミングを本気でやり出したのは、卒業研究の時でした。

プログラミングでグラフを書けることに感動してのめり込むようになったことを覚えています。

今は、プログラミングが好きで、仕事以外でもソースコードを書くことが多いです。

一方、大学生活は灰色だった

やっとの大学生活で、楽しいことがたくさんあると期待していた。

さっそく、(高校時代あきらめた)テニスサークルに入ろうとしたが、部員達がホストクラブで稼いでいそうなリア充ばかりで、話について行けず断念。

他のサークルも考えたが、やる気をなくしてしまった。
結局、誰ともしゃべらない学生生活を過ごすことになった。

今に思えば、集団行動が嫌いだったので、むしろ1人行動で良かったと思う。

灰色生活を4年間も過ごしたいとは思わなかったので、大学3年次の編入を試みる。
行ってみたいと思っていた、京都の立命館大学の編入試験を受ける。

しかし、失敗した。灰色の大学生活が確定。

友達関係(特に大学で友達ができなかった人)悩みを持っている人をネットで探してみる。
その行動は正解で、すぐにあるサイトを通して仲間が見つかった。

サイトで知り合った人達と、ずっとチャットで話して過ごした。
週1ペースでオフ会を主催して、とくかく遊びまくった。

結果的に、大学時代は、学内に友達はできなかったが、学外ではいろんな人と遊べたので楽しかった。

 

残業だらけの受注・SESメインのシステム会社に入社

社会人1年目の開始だ。職場の環境は良かった。

しかし、社内の仕事は、残業、休日出勤ばかりだった。
ひどいときは、終電で帰ることもできず、スーツ姿で、工場の廊下で段ボールを敷いて寝るときもあった。

このときは、20代だったからできたが、今の年齢では体力的に不可能である。

 

ものごとの理解が遅かったこと、立ち回り方がものすごく下手だったため同期や後輩に抜かされまくる。
その結果、上司や後輩には、「使えない」判定されていた。

納期には、周りの人がかなり助けてくれたため(というより丸投げに近い)、ほぼ間に合っていたが、できない人になっていた。
だから社内には、居づらかった。

居づらいと思っていた矢先に、お客さん先に数カ月間、出向する話が出てきた。

最初は、不安だったが、社内に居づらかったので正直、(残業だらけで辛いこともあったが)お客さん先のほうが良かった。

 

30歳でWEB業界未経験で転職活動開始!しかし、転職エージェントから見放されたいた

 

「夢をかなえるゾウ」との出会いをきっかけに本当にやりたいことがわかった。

やりたいこととは、WEB系・ゲーム系の開発である。

WEB製作会社を中心に転職活動をするが、直近の仕事が、テスト業務だっためか書類審査で落とされることがほとんどだった。
またそのときの年齢が30歳だったため転職エージェントからは「WEB系・ゲーム系の仕事は未経験のため紹介できない」と言われてしまい苦労した。

 

業務内容がテスト案件でテストしかやっていなかったため、書類が通り面接になっても

面接官
君はプログラミングができないからテスト案件に行かされたのかい?
直近の業務がプログラミングじゃないときついなぁ

 

 

と言われ、なかなか内定を取ることができませんでした。

転職活動を開始してから5ヶ月目でやっと「ゲーム会社のシステム開発”も”している受注・SES会社」に転職することができた。

 

失敗談・転職先の会社で解雇される

2社目。コニュニケーション力が高い社風は、自分には全く合わなかった。

ゲーム会社のシステム開発業務(受託)

WEB系の開発ではなかったが、ゲーム会社のシステム開発をすることになった。

C言語でゲームのサーバーサイドの処理をすることになった。ゲーム系の仕事なので興味があった。

しかし、その業務で無限ループを作るというバグを作ってしまった。

当然、お客さんから怒られる羽目に・・・。

そのバグが原因で、会社の上司達からも「こいつ、雇って失敗だった。」と判断されてしまった。

上司からの評判は、「★☆☆☆☆」で最低得点だ。

 

業務システム開発のSES

日○系列の情報システム会社に派遣されることになった。

しかし、そこでも・・・

  1. 仕様が理解できない。
  2. わからないなりに、とりあえずやってみる。
  3. 失敗してチーム全体に迷惑をかける
  4. 負のループを繰り返す
  5. ついに、お客さんが激怒し派遣元に会社に戻される。

そして、部長に呼び出され「解雇通達」されるのであった。

しかもそのとき、リーマン・ブラザーズの破綻で大不況だった。

今のように(2021年7月6日現在)、エンジニアが不足どころか、余っていた時代だった。

エンジニア歴5年以上の経験があっても、仕事が無いことが多かった。

そんな時代に、再就職先を探さないと行けなかったのでハードモードだった。

 

無職になったので大金払ってプログラミングスクールへ

WEB系の企業に行けない理由の一つが、WEB系のプログラミング言語(PHPなど)を使ったことが無いことだ。

独学で勉強してもモチベーションが続かないこと、スクールの紹介があったほうが再就職しやすいと思っていたので、合計100万円を使ってプログラミングスクールに行くことにした。

PHPでWEBサイトを作って再就職活動を始めた。

年齢は30歳を超えていたので、なかなか決まらなかった。

 

3ヶ月で8割も退職するブラック企業へ再就職

3社目

3ヶ月間で入社した8割の社員がやめる受注・SES会社に再就職することになった。

  • 月給15万円(未経験の場合は12万円)
  • 社長が切れやすく、すぐに机を蹴り飛ばす(心臓に悪い)
  • 残業代なしの残業が発生する
  • 無給の土曜日出勤がある(職安の募集要項には、土日祝日は休みと書いてある)

とブラックな部分を挙げていたら切りがない。

  • Javaを使ったWEBの受託開発
  • プログラミングスクールのアシスタント(プログラミングスクールを運営していたため)
  • 炎上案件の火消し(テスターとしてサポート)

特に、受注開発は、技術不足による作業進捗が遅れ、その結果、毎週休日出勤、終電まで仕事が続いた。

さらに、お客さんから「ここ直せ」という注文を納期前に多数来て、炎上になった。
マネージャーも体調を壊し、出勤出来ない状態になった。

結局、納期を逃してしまい、さらに業務量が増え、終電まで業務、会社に泊まる、土日両方の出勤を繰り返した。

人生でもっとも辛い労働環境だった。

しかし、JavaのWebシステム開発に携われたこと、プログラミングスクールの運営に携われたおかげで、やりたいことに近づけたことも事実だ。

安月給でも実務経験を買えというが、まさにそのとおりだ。

 

iPhoneブームのおかげでWEB系(ゲーム開発もある)会社へ

4社目

やっとの思いで、WEB系、ゲーム系の開発会社に入社することができた。

詳しい業務内容は「就職後の経歴」を参照してください。

 

なぜブログを書いているか

なぜブログを書いているの?

以下のようなことを伝えるためです。

  • 現役エンジニアとしての経験からプログラミングでつまづく部分のサポート
  • プログラミングスクールに実際に通っていた経験、および運営側にいた経験からのスクールの選び方のサポート
  • 30歳の転職活動の経験を通して、周りから「無理だ」と言われていても行動することによって理想の場所にたどり着けること

 

ADHDとアスペルガーの合併症という特性を持っていた

チーム開発で失敗することが多いこと。

特に、臨機応変に人と接する必要がある業務だと失敗しやすいことに気づいた。

もしかしたらと思って検査してみたら、ADHDとアスペルガーの合併症であることが発覚した。

「じゃ仕方ないか〜」

というわけで、一人でモクモク進めることが多い仕事を選ぶようにした。

 

好きなこと、苦手なこと

好きなこと

  • 写真撮影
  • プールで水中ウォーキング
  • ブログを書くこと
  • メタバース散策(VRChat、Cluster)
  • Clusterにてワールドづくり

 

苦手なこと

  • 計画を立てて行動すること
  • 先のことを考えて行動すること
    自分一人の行動ならば、考えることができるが、複数人が関わってくると先のことが考えられなくなる。特に、数人の予定を調整する仕事が困難である。
  • 興味を持つまでが時間かかる

エンジニアとしてのスキル

技術 実績 使用経験
機械学習(テーブルデータ) Kaggleに挑戦する。
kaggle Expert(銀1 銅1)
1年
機械学習(自然言語) Kaggleでbertを使ったモデル作成
趣味でbertを使った処理の実装
1年
機械学習(強化学習) Kaggleのコンペで使用した程度 1ヶ月
MySQL WEBサイトのデーター管理をする 7年
PHP WEBサイトの作成 5年
Python Kaggleで使用する。
Django,Flaskを使ったWEBサイトの作成
2年
Java(WEB開発) WEBシステムの開発でStrutsと共に使用。 半年
Java(Androidアプリ) Androidアプリの作成で使用した 5年
C言語 Windowsアプリの作成に使用(VC) 3年
C++ Windowsアプリの作成に使用(VC) 3年
C# Unityと共に使用 5年
Unity ゲーム開発で使用 5年
HTML・CSS WEBサイト作成のときに使用 7年
JavaScript WEBサイト作成のときに使用 5年
Go(独学) 趣味で使用した 半年
Git ソースコードの管理 7年
Backlog プロジェクト管理で使用。
外注さんに仕事を依頼するときに使用。
3年
ABAP SAPの研修で使った程度 一週間
Linux OS サーバーサイドの実装のときに使用 7年

5年ほど、Unityを使ってIOS,Androidアプリの開発をメインにやってきました。

直近では、機械学習の開発に足を踏みこむようになりました。

 

就職後の経歴は以下の通り

経歴 内容 使用言語 期間
1社目(SES) ある通信機器の組み込み業務。
設計書どおりにC言語でコーディングしていくだけのもの。アサインされたときには、すでに大炎上。業務初日から残業でした。
設計書は間違いだらけで、何が正しいのか予測しながらのコーディングだったので大変だった。
C言語 半年
1社目(SES) 官公庁むけの電子機器のシステム開発。
Windows PCのアプリ開発で興味を持つ。サーバーサイドの実装もあったがなぜか、C言語だった。
今だったら、JavaかPHP、もしくはPython(Django)を提案していただろう。
C++ Builder 2年
1社目(SES) またまた、装置の組み込み業務。
装置特有の仕様の理解に苦しみ、実装はむちゃくちゃになり、ついには同期に実装をすべて押し付けるという失態を犯してしまった。
僕は、仕様理解の意図もありテストのみを担当することになりました。
後輩からも「大丈夫ですか?」と心配される始末で、正直チームに居づらかった。
C言語 3ヶ月
1社目(SES) 別の会社に1人で常駐することになった。
常駐先は、医療機器のメーカーで、向こうの社員の指示に従い、PCのソフトを作っていった。
常駐といえば、「身を壊すまで残業する」「テストばかりさせられてスキルが身につかない」という声もあるが、私の場合はそんなことはなかった。
SQLとかいきなりやることになって戸惑ったけど、今でも役に立っている
オラクルDB
C++ Builder
2ヶ月
1社目(SES) 血液の分析機器の評価業務。当時、評価業務はあまりなく、一部の人から「プログラミングができない奴が左遷されてやるもの」と言われていたのだ。
評価は、たしかにテストを集中的に行うが、失敗するとそのまま市場に出てしまうので、かなり慎重にテストしていた。バグも多数発見して、世の中に出る前に食い止めていたから、実績はあるはずだ。
それでも、転職の面接で評価の仕事をしていたことを伝えたら「直近でプログラミングをやっていないのですか?見込みなくてテストにまわされたのですか?」と言われる始末だった。
なし 2年半
2社目(SES)・オンラインゲームの開発 新卒で5年以上お世話になった会社をやめて、WEB開発もやっているSES会社に転職した。
某大手のスゴロクゲームのサーバーサイドのお仕事です。
サーバーは、処理速度優先のためC言語(個人的にはC++の方が良いと思った)を採用した。
そこで探索処理で再帰処理による無限ループを作ってしまいお客さんから怒られた。それを気に、ループを作るときは必ずリミットを入れるようにした。
C言語 2ヶ月
2社目(SES)・某業務システムのテスト 3月の決算時期に派遣されるということは、炎上していることがほとんど。
蓋を開けてみたら、大炎上。
平日は、終電、休日も土日両方とも出勤させられていました。


業務内容は、仕様書の整理、テスト、テスト仕様書の整備だった。
大手のお硬い会社だったので、ドキュメントも間違えがないものが求められた。


業務内容が理解できず、かなり困った。お客さんは、ちゃんと教えてくれるのだが、周りの理解速度についていけず取り残されてしまった。理解不能のまますすめてしまったら、大きな間違えをしてしまい、お客さんに「帰れ」と言われてしまいました。


所属会社の上司に「もう(所属)会社に帰ってきて」と言われ、そのまま電車に乗って所属先に戻るのであった。あのときの重い足取りは、忘れられません😁
そして部長に呼び出され解雇されることになった。

VB 1ヶ月
無職・WEB系のプログラミングスクール リーマン・ブラザーズが破綻した影響による大不況。そんなときに会社都合による解雇です。


エンジニア実務経験者ですら、仕事がない状態でした。
そんななか開発経験があるのになぜプログラミングスクールに通ったか。


そのときは、私はWEBシステムの開発をしたかったのですが、開発経験がありませんでした。


C言語なら3年以上経験があっても、WEBシステムはJava,PHPだったので、その経験がないだけで、その道に行くことができなかったのです。


次の面接を受けるときに「Java,PHP,Linuxができます」と言いたかったので、高いお金を使ってプログラミングスクールに行くことにしました。

Linux,PHP,Java 半年
3社目(SES)・自社製の教育システムの開発 解雇から約7ヶ月後、WEB開発もあるSES会社に再就職することが出来きました。


月給15万円、残業代は一部のみ支給。さらに土曜日出勤まであるというブラック環境でした。


社長は切れやすく、ほぼ毎日怒鳴り声が飛び交っていた。
3ヶ月以内に辞める人は6割ほどで、隣りにいた人はいつの間にか居ないことも普通にありました。


待遇は、前職よりもかなり落ちましたが、やりたいことに一歩でも近づいたので良しとします。
開発言語は、今年でサポートが切れるFlash/Flexです。

Flash/Flex 3ヶ月
3社目(SES)・官公庁向けシステムの結合テスト 会社が請け負っている官公庁向けシステムで大炎上が発生した。


私もテスター要因として入ることになった。
業務は、日中は終電まで仕事、土日もどちらか出勤することになった。


どのような仕様で作られているのか説明なし、さらに、わからないところがあっても質問しづらい環境だったのでテストを進めるのは困難だった。


すでにいる人達は、かなりピリピリした状態だった。
さらに、お客さんからも「この人(私のこと)大丈夫なの?心配になってきたよ」と言われる始末で、最悪の業務環境であった。


それでも、テスト業務をなんとかして耐え抜きました。
大塚駅にあるアノ会社には、二度と行きたくないですね。

Java 2ヶ月
3社目(SES)・SEOコンサルの支援システム JavaのWEB開発の新規案件が来ることになった。
その甲斐もあり地獄のような結合テスト業務から逃れることが出来た。


やっとの思いで、Javaを使ったWEB開発ができるようになって嬉しかった。しかしそう思ったのは、つかぬま。


技術不足による作業進捗が遅れ、その結果、毎週休日出勤、終電まで仕事が続いた。


さらに、お客さんから「ここ直せ」という注文を納期前に多数来て、炎上になった。


マネージャーも体調を壊し、出勤出来ない状態になった。
結局、納期を逃してしまい、さらに業務量が増え、
終電まで業務、会社に泊まる、土日両方の出勤を繰り返した。


その結果、私も体調を崩し心療内科のお世話になることになりました。


納期から2ヶ月遅れて納品になりました。
これ以上、続行できなかったので入社してから9ヶ月ほどで辞めることにした。

Java
Struts
PostgreSQL
4ヶ月
3度目の転職活動 3社目にいるとき、転職活動を開始していました。
そのときのエージェントの反応は、「すぐに見つかりますよ」だった。


これまで「未経験」として転職活動していて「厳しいですね、これ以上紹介できる会社がありません」という反応ばかりでしたが、今回は「経験者」としての転職活動でした。


活動開始して一週間も立たないうちに次が決まり終わってしまいました。
一番やりたいと思っていたところに到達できたのです。

なし 一週間
4社目(自社開発)・iPhoneアプリ iPhoneアプリのゲーム開発 Objective-C 3ヶ月
4社目(自社開発)・Androidアプリ 飲食店向けのAndroidアプリの開発。
その仕事は、あるフリーランスに依頼したのだが、行方不明になり急遽私が対応することになりました。
Androidは未経験だったので、本を見ながら実装していたことを覚えています。
Java 3ヶ月
4社目(自社開発)・PHPの広告システム PHPを使った広告システムです。
広告システムの仕様覚えるのに苦労した覚えがあります。
PHP 3ヶ月
4社目(自社開発)・中規模なゲーム開発 Unityが出始めたことから、アプリサイドはUnity,サーバーサイドはPHPで開発を進めてきました。
開発初期から携わることができたので、貴重な経験になりました。


しかし、開発初期のデータ構成の設計があまり良くなく、今でもそれを引きずってしまっています。


データ構成はあとから変更するのが、困難であることを身を持って学びました。

Unity
PHP
C#
Mysql
7年
4社目(自社開発)・WEBシステム開発 ゲーム開発を後輩が引続ぐことになり、新規のWEB開発に携わることになりました。


この頃から機械学習の勉強始めたり、Kaggleに挑戦するようになりました。

Python
Mysql
1年